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令和元年司法試験予備試験 一般教養科目

再現答案を削除してしまって申し訳ありません。

しかし、僕は他人の再現答案を読まなかったし、稚拙な答案を見てもむしろ悪影響があると思います。

ただ、一般教養は素晴らしい模範解答等はあまりないと思うので一応A評価のものを上げておきます。

 

設問1

 社会の原理について明確な観念を得るためには、社会の問題についての抽象的考慮と、社会をその原初的条件において想像することで、そこで自然に発生する状況と要請とを観察すしなければならず、これによって人と政府との間に存在すべき関係を適切に観察することができる。

 人々がいかなる法律もない自然状態で生きると、力による闘争が生じるため、共同体全体の利益と自分個人の利益を最もよく実現するために、万人は自分の仲間の決定と一般的制度への従属に合意することになる。次に、人口と紛争の増加に伴い、共同体の要請から自然に政府が発生することになる。ここで、ここにいう共同体の要請とは、自然状態で生じる社会的不都合の是正だとすると、立法による是正は社会の自己調整原理から不要であり、さらにはより大きな不都合、悪を生ずることになるので、かかる是正ではない。共同体の要請とは人々の自然権を保護し正義を執行することであり、政府はそれよりも多くのことを行うべきではない。

設問2

 著者の主張は、政府は国民の生活に対し、国民の自然権を最低限守れるだけの干渉のみをすべきであるという、いわゆる「小さな政府」を是とするものであるが、この主張は今日ではそのままの形では現実には当てはまらない。

 そもそも著者がこのような主張を展開したのは、イギリスにおいて産業革命が起きる以前、封建領主による領民に対する保護と搾取があり、産業革命により封建制度から解放された国民が自ら教育や鉄道事業、商業を行うことで自分たちの権利を実現していったことが背景にある。

 しかし、政府が最低限の保護しかしないことは、資産家と労働者の格差を生じ、商業についてみると結局は、自然状態に任せるのではなく、政府が積極的に規制を行わなければ独占等によって弱者の自然権は侵される結果となった。

 もっとも、このことは、政府が商業を全面的に操作し富を国民に分配する共産主義を肯定することにもならない。やはりある程度の自由競争を国民に与えなければ、技術や商業の発展が阻害され、逆に国民の自然権が制限されてしまうからである。

 そこで、著者の主張は、現在の商業規制においては、弱者の自然権を保護し得るだけの干渉をした上で、最低限の規制に留めるべきである、というように、自然権保護のレベルが変わったうえで妥当するものになったと評価することができる。

                                     以上